どうも、現役東大生ブロガーのrakudaです
今回は千葉雅也さん著の「センスの哲学」を読んでみたので
そのレビューを書いていきたいと思います
このブログは現在、「センスの哲学」を購入しようか迷っている人に向けて
その面白さを伝えるためだけでなく
もう読んだ人と感想を共有したいとも思って書いているので
誰でも気軽に読んでみてください
「センスの哲学」はどのような人におすすめ?
この本は特に前提知識を必要としていないので誰でも気軽に読むことができると思います
一応千葉さんは「勉強の哲学」(2017)、「現代思想入門」(2022)に連なる
入門書的な著作の第三弾にこの本を位置付けていて
確かに前の2作を読んでおくとスッと入ってくる用語もありますが
基本的にはあまり関連がないと考えてもらって大丈夫です
そして、この本は日常の美的感覚を高めることを目的としていますが
美術に全く興味がない人でも楽しめると思います
(何ならそういう人にこそおすすめな本だと言えます)
読み進めていくうちに現代美術がどういうものか
何となく分かってくる、そういう感じの本です
(マジで何となくです、分かったようで分からないような、
ていうか完璧に分かったと言っている人ほど胡散臭い
※rakudaの個人的な意見です)
(雑な)あらすじ(第1章〜第4章)
(粗筋(あらすじ)って粗いって入ってるから、雑でなんぼじゃね、まあいいや)
一応あらすじと思ってrakudaは書いているので、ネタバレにご注意ください
ただ、思いっきり的外れなことを書いている可能性大なので
がっつりネタバレにはならないと思います
まず「センスの哲学」の前半部である1章〜4章のあらすじを書いていきたいと思います
なにかモデルがあってそれに近づけていこうとするのではなく
あくまでも自分の直感に従う
それがセンスを活性化するための一歩となる
そのために、まず意味や目的を取り払うことを目指す
取り払った先にある、もの自体がリズムである
リズムとは、まずデコとボコの組み合わせとしての形であり
さらにものごとが複雑に絡み合ったうねりと、
逆に単純な0と1の対立であるビートとの重ね合わせで
リズムが表現される
ここからさらに展開されて、それまで無視されてきた
意味についてもリズムで捉えることを試みる
(つまり、意味を脱意味化するということです、なんかかっこいい)
意味は言葉どうしの距離関係であり、結局デコボコの話に帰着する
その実践方法として、作品を鑑賞するときに
大まかな感動を半分に抑え
構造的感動ができることが目指される
大まかな感動とは作品を貫く意味に感動することで
鑑賞するうえで避けることはできない
構造的感動とは、作品の細かい部分
無駄な部分に注目して感動することである
無駄な部分とはその作品における、意味のリズムであり
それに心が動かされることでセンスへと開かれていく
ここまでが『センスの哲学』における前半部分(第一章〜第四章)でした
(雑な)あらすじ(第5章〜第8章)
ここから後半(第五章〜第八章)に入っていきます
後半からより実践的になっていく
第五章の要旨を端的にいうと「どう並べてもいい」となる
(実践的とは?)
まず、ヒトは基本的に予測し、その予測からあまり外れないような
安定した生活を好む
しかし、生きていると予測から大きく外れるような事態が
よく起こる
そういうときに大事なのはパニックにならないことです
そのための有効な手段が、予測とのずれまでリズムとして
捉えられるようになることです
異質なものを異質なままでいさせないためにリズムが必要とされる
(例えるなら、何か間違えたときに「知ってたよそんなこと、冗談、冗談」
て笑い流すようなことかな、ちょっと違うかな、でもよくあるよね笑)
この主張をもののつくり手の方に展開させると
「何をどう並べてもいい」ということになる
今見てきたように
人には設定次第であらゆるものをひとつのリズムとして
繋げる力があるからです
つくり手は、その力を信じてただ気の赴くままに
並べていっていい
千葉さんは最後に、モデルを目指すことで
どうしても浮き彫りになってしまう身体性の議論に戻っていきます
最初に、モデルをいったん捨ててみるとこからセンスは始まると言いましたが
狂気的に何かにこだわってしまうような人もそれはそれで魅力である
それはセンスを台無しにしてしまうという意味でアンチセンスと呼ぶことができる
どうしようもなく反復してしまうもの、それがアンチセンスである
ものごとをバラバラにしていくのがセンスだとすれば
くっつけていくのがアンチセンスである
輝かしいセンスの裏にはアンチセンスが濃い影を落としている
長くなってしまいましたが、以上が『センスの哲学』のあらすじでした
ぜひ読む際の参考にしてみてください